2008年6月13日

関東地質構造盆地の中心 栗橋

関東平野は日本を代表する平野ですが、最近の知見では太平洋プレート・ユラシアプレート・フイリッピン海プレートがせめぎ合い複雑な構造をしていることが解ってきました。日本を外帯と内帯とに分ける中央構造線も熊谷~栗橋を結ぶ線状に確認されています。

栗橋は常に盆地の中心でしたので、厚い堆積物に覆われています、最終氷河期には世界的に海面が120mほど低い時代がありましたが、栗橋ではさらに構造運動で地盤が下がったため数百mの厚さを持っています、縄文海進のところで話したように栗橋も浅い海でした、そのご海が後退して広いデルタができたのが河川改修する前の関東平野です。

江戸時代全国で河川改修がおこなわれ洪水対策・新田開発が進みました。この時から慣行水利権が発生し河川法のできたいまでも厳然と生きています。

2008年5月17日

江戸の埋め立ての歴史と地理的条件

江戸時代各地で新田開発がおこなわれ、埋め立ても農地拡大が主目的であった。江戸は唯一人口の増加に伴う市街地の拡大であった。

地形的には武蔵野台地の東端で、台地を刻むように浅い谷地形が発達していた。平野部は隅田川のデルタで自然堤防・沿岸洲・後背低湿地からなる。

埋め立ては二期に区分される。

①江戸城の東、日比谷入江(現在の丸の内・八重洲)の埋め立て。江戸城の築城工事に伴う掘削土おもに関東ロームを使用した。

②隅田川東部の埋め立て。

人口の増加に伴い家庭ごみの処分場、江戸前ののり・あさり・広く広がる塩田を水運で結ぶために道三堀、水路の確保のための浚渫土が利用された。

港の整備も進み、伊豆の安山岩・玄武岩も大量に使用された。

2008年5月13日

縄文海進

今から5000~6000年前、世界的に海面が5~6m高かった時期があります。したがって貝塚は5m以下にはありません。武蔵野台地の東側は海蝕崖の斜面です。浅海に成長した沿岸洲が八重洲の前身です。江戸城はこのときの後背低湿地を利用して外堀にしました。