2008年5月31日

家タン丸振り の数々其の一

家タンは江戸に入ってから数々のメチャ振りをして行きます。

•もともと東京湾に流れ出ていた利根川を銚子に曲げさせたり。
(理由としては伊達政宗に対する防御策、江戸の洪水問題の解決)

•現在の日本橋がかかっている付近に「道三堀」という舟入堀を開削させたり。

•戦争用の塩を安定確保する為に「小名木川」という運河を開削させたり。

•日々や入り江を埋め立てさせたり。

•江戸城を大改造させたり。

•上水道をつくらせたり。

とまあ関ヶ原前で既に240万石の大大名ですから、まあパワハラです。
しかも1600年の関ヶ原後はもう、やりたい放題です。

2008年5月24日

家康江戸入り 

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最近ブログ運営の為に浮世絵や、古文書をよく見てるけど、みなさんお上手。
まあ何百年も残るだけありますね。

2008年5月22日

埋め立てブログ 家タン 第一話改訂ver

おとが聞きにくかったので、改訂しました。

2008年5月20日

おかげさまで大幅にリニューアル。出来ました

もう、すごいの一言。
「家タン」がみるみるうちにかっこ良くなって行くじゃないですか。

電犯四十一郎さまにはまた一つかりが出来てしまった。
ありがとうございます。

2008年5月19日

簡単に言ってますが...やっぱり家タンは超めちゃ振りだったんだろう

この映像は、先日水道の歴史館へ行った際の映像です。
映像では家タン(徳川家康)がどのように江戸を埋め立て運河を開削して行ったかを ザックリですが図で分かりやすく説明しています。
簡単に説明していますが、すごい範囲を 埋め立て、運河を開削してるんです、いやさせてるんです。
すべて人力です。 いや〜信じられない。
 
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2008年5月17日

江戸の埋め立ての歴史と地理的条件

江戸時代各地で新田開発がおこなわれ、埋め立ても農地拡大が主目的であった。江戸は唯一人口の増加に伴う市街地の拡大であった。

地形的には武蔵野台地の東端で、台地を刻むように浅い谷地形が発達していた。平野部は隅田川のデルタで自然堤防・沿岸洲・後背低湿地からなる。

埋め立ては二期に区分される。

①江戸城の東、日比谷入江(現在の丸の内・八重洲)の埋め立て。江戸城の築城工事に伴う掘削土おもに関東ロームを使用した。

②隅田川東部の埋め立て。

人口の増加に伴い家庭ごみの処分場、江戸前ののり・あさり・広く広がる塩田を水運で結ぶために道三堀、水路の確保のための浚渫土が利用された。

港の整備も進み、伊豆の安山岩・玄武岩も大量に使用された。

家タン公肖像画(徳川家康)

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宝蔵院より新たに見つかった?、関東の連れションベンで江戸行きが決まった直後の家タン公肖像画(徳川家康)
この絵が豊家滅亡への決意を表しているかのようです。


2008年5月16日

猛反対した徳川四天王と徳川家臣団

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家タン(徳川家康)の言う酒井ちゃん(酒井忠次)、サカキー(榊原康政)、
本ちゃん(本多忠勝)、イイナオちゃん(伊井直政)という徳川四天王をはじめ、
徳川家臣団も黙ってはいなかった。んじゃないかなぁ。


2008年5月15日

すべてのはじまり その2 家タン酔っぱらう

様々な状況があり、関東に行く事になった家タン(徳川家康) ぼやきながら次なる作戦を考えていたんでしょうかねぇ。 

2008年5月13日

すべての始まり、関東の連れションベン

江戸の埋め立ては徳川家康(以下家タン)が各地の大名にマル振りして進めたらしいんですが。家タンも、そもそも秀吉からのマル振りで江戸に向かったみたいです。 その状況を妄想コンテンツにしてみました。

縄文海進

今から5000~6000年前、世界的に海面が5~6m高かった時期があります。したがって貝塚は5m以下にはありません。武蔵野台地の東側は海蝕崖の斜面です。浅海に成長した沿岸洲が八重洲の前身です。江戸城はこのときの後背低湿地を利用して外堀にしました。

2008年5月12日

みなさんご存知でしたか?有楽町や新橋が海だったのを

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左が家康が江戸に来るまでの江戸。右が来て18年後の江戸です。
有楽町、日比谷辺りの入り江が見事に埋め立てられてます。すごいですよねぇ。